トンパ文字を訪ねて(続き)


〜納西(ナシ)族居住地での現地調査から〜
『言語』(大修館)2001年9月号より抜粋

トンパ文字の新たな動き

 9年前、『言語』誌上で中国雲南のトンパ文字について連載を書いた。すると東京在住のアートディレクター浅葉勝己氏からすぐに会いたいとの連絡が入ってきた。なぜトンパ文字に興味があるのか。上京の折、彼のデザイン室を訪ねた。

 明るくて行動力あり。柔軟な考え方、パワー溢れる。これが氏と会っての最初の印象である。その浅葉氏が仕掛け人となって、現在、日本でトンパ文字ブームが起こっている。氏の発案したトンパ文字をイラスト化した名刺やシールの作れる機械が、コンビニのローソン7000店舗に設置され、若者や中国愛好家の問で大人気となっている。さらに、パソコンで便えるトンパ文字書体ソフトも今年5月に発売された。浅葉氏自身は、トンパ文字を題材にしたポスターで、1991年東京タイポディレクターズクラブで金賞、また2000年の東京アートディレクターズクラブ会員賞を受賞されている。

 トンパ文字の名刺とシールを作った若者に尋ねたところ、「かわいいから」との声が圧倒的に多い。次は「魔力があるから」とお守りのように使っている人も多い。トンパ文字は絵の要素が高いので分かりやすい。加えてトンパ文字イラストの名刺には浅葉氏のちょっとしたアイディアが盛り込まれていておもしろい。たとえば、「座る」のトンパ文字に「チャンスを待て」という浅葉氏のことばが付け加えられている。そのほかでは、「虹」の文字に「ピンチのあとにチャンスが」、「歌う」の文字に「カラオケ上達」、「歩く」の文字に「行動あるのみ」、「晴れ」の文字に「幸運祈願」、「無限」の文字に「才能は無限大」、「星を見る」の文字に「星に願いを」、「日光」の文字に「人生に光あれ」…このように浅葉流の発展的な意味や願いが書かれている。それを読むとトンパ文字に現実味を感じ、心が明るくなる。トンパ文字の故郷が中国雲南省麗江であることを知らない若者たちの間で人気があるのは、かわいい文字の中に自分の願いがかなったり、幸せが訪れたりする不思議な力がこもっていると感じ取っているからだろう。

 日本でトンパ文字が広く知られるようになった要因はこれだけではない。航空機の運行とマスコミの雲南報道に負うところも大きい。1996年、麗江を襲った大地震は日本で大きく報道され、日本からも大きな援助の手が差し伸べられた。その後、麗江は世界文化遺産にも指定され、日本の各テレビ局で雲南の特別番組がたくさん製作された。交通では関西から雲南までのJASの直行便が開通した。また昆明から麗江への空の便ができ、バスで16時間かかって移動していたのが25分で簡単に行けるようになった。2年前に昆明で開催された、中国で初めての国際博覧会「花博」では、昆明.と麗江のセットコースの旅が人気となり、多くの日本人が麗江の魅力を直接体験したことも大きい。昨年、麗江を訪れた観光客は中国人、外国人をあわせて290万人を超える。

 現地ではどうだろうか。この9年問で東巴研究所所属のトンパ文字伝承者10人のうちの7人が鬼籍に入り、伝承者は減る一方である。だが、世界最後の象形文字の伝承者がなおも現存することが何よりも魅力的である。一昨年の秋、麗江で「国際トンパ文化学術シンポジウム」が開催され、22か国の250名余りの研究者が参加した。宗教学の角度からトンパ教を扱う研究発表が多かった。トンパ文字自体の研究成果は少ないものの、トンパ文字の研究のありかたについて多く議論された。

 私の近年の研究は比較文学的研究と比較文字学的研究の2つの方法でトンパ文字へのアプローチを試みている。前者としてはトンパ経典と日本の神話伝承との比較、後者ではトンパ文字とイ族の古文字、甲骨文字との比較を行った。私自身、日本語版の「トンパ文字辞書」の編集に着手して15年になるが、早期の刊行を行わなかったのはいくつかの理由があるからである。第一はトンパ文字とチベット文化、特にボン教からの影響の解明である。「トンパ」という語自体がチベット語のなかに存在し、チベット文化、特にボン教の影響を強く受けている。そのことに付随してインドの古代文化との関連も多く、この究明もなされなければならない。第二はトンパ文字には仮借文字、転用文字が多い点にかかわる。これに関しては研究が遅れていて、今後、麗江や海外の博物館に保存されているすべての経典をくまなくチェックし、仮借文字、転用文字の使用頻度の調査が必要である。

 最大の課題はトンパ文字の成立年代の解明だろう。千年前に既に存在していたとされているが、はっきりした証拠はない。甲骨文字の場合、古代の墳墓から出土したことが決め手となった。火葬という風習のせいか?考古学的発掘が立ち遅れているのか?成立年代のなぞを解き明かす出土資料の大発見が期待される。


  
topへ