トンパ文字を訪ねて


〜納西(ナシ)族居住地での現地調査から〜
『言語』(大修館)1992年4月号より抜粋

はじめに

 ここ数年、私は足繁く母国の雲南省に通ってきた。雲南省の西北側、チベット高原の南側、金沙江の上流に納西族の居住中心地、麗江(れいこう)がある。人口は25万人近く。納西族の「トンパ文字」(絵画的要素の高い象形文字)の伝承者がまだ20人近く生きていることで全世界の文字研究者の注目の的とされている地域である。

 その世界的文化財産としての文字の、より活発な国際的研究を進めたいため、また文字、言語、文学のみならず、書道、絵画、歴史、地理、宗教、哲学、民俗、芸術などの学際的な研究を促進させるために、私は数年前から日本語版の『トンパ文字の辞典』の編集を始めた。去年の夏、その最終原稿を完成するため、再び麗江で研究生活をおくった。

 麗江は、昆明からバスで行けば、16時間(606キロ)かかる交通不便なところである。そこには500年以上の歴史を誇る世界一の椿(山茶花)、著名な玉龍雪山、「重要文化財」に指定された中国の明・清時代の町の風景を保存している「大研古鎮」、仏教・道教・ラマ教を一体とする神の壁画、世界で最も深く険しい峡谷「虎跳峡」、「万里長江第一湾」と呼ばれている百度も湾曲するV字型のカープの「石鼓」など、世界的に注目されるものが多い。

 また、最近の報告では西北のシルクロードの他に、かつて雲南を中心とする西南のシルクロードがあり、その歴史は西北のそれよりも長いという。その絹輸出の古道は雲南からビルマを経由してインドに至り、紀元前四世紀にできたとされている。納西族の地域もこの古道の一部分を担っている。納西文化の研究はインド文化、中国文化、日本文化の比較研究をするうえでも、極めて有益だと思われる。

 さて、トンパ文字だが、これは納西族の共通の文字というわけではない。この文字はトンパ教とかかわっている。 トンパ教とは納西族の土着の原始宗教(お寺もない)で、その祭司がトンパと呼ばれる。トンパは地元の知識人として仰がれている。なお、トンパ「東巴」の意味は「賢い」「知恵」である。

 トンパ文字で記載されたものは相当多く残されており、特に儀礼に使用する「口誦経典」が多い。中国少数民族の文字では、貴州省の水族の水書(水文)、雲南のイ族のイ文、四川の爾蘇沙巴文などが、宗教文字という点と、経典の記載用の文字という点でトンパ文字と共通しているが、トンパ文字ほど絵画性に富む文字はない。トンパ文字がいかに絵画性に富んでいるか、以下実例をあげながら説明しよう。


 トンパ文字とは? 
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