トンパ文字を訪ねて(続き)


〜納西(ナシ)族居住地での現地調査から〜
『言語』(大修館)1992年5月号より抜粋

「卵生神話」をめぐって

 トンパ文字のもう1つの大きな特徴は文字自体に神話伝説がまつわっていること、またその文字で記載されている神話伝説が数多いことである。

 「日本の記紀神話と納西族の神話」については、別の論文で詳述するが、ここで一例を挙げてみよう。

 日本の「記紀」に似た体系的な神話に、納西族の『創世記』がある。「古事記」「人類遷徒記」「崇搬図」「崇邦統」「麼些族の洪水故事」などのタイトルで翻訳されている。天地がまだ分離しないときは卵のような混沌状態があったという。この神話の冒頭の部分は日本の『記紀』と同様に「混沌→卵生」型に属するとされている。『日本書紀』には「古に天地未だわかれず、陰陽分れぬときに混沌たること鶏子(=卵)の如くして、ほのかにして牙を含めり」があり^「神代紀上」の冒頭)、日本の伝説にも「卵生説」がみられるが、それほど多くはない。納西族の神話伝説の起源説では、「卵生法が圧倒的である。『創世記』『東術争戦記』『董術戦争』などの「卵生神話」を考察対象として整理してみよう。まず「卵」の形成について分類すると、主として次のようなものが挙げられる。

 第一類は気息と声音による卵の形成である。気息と声音の変化によって卵の形ができた。そして、白い卵から白い鶏になったというモティーフである。

 第二類は神によって卵が生まれる類である。気息と声音の変化によって神が出現し、そして神が黒い卵を産み、黒い卵から黒い鶏に変化されたというモティーフと、善神が白い卵、それから神の鶏に変わり、また白い卵を産み、白い卵から天神・地神などの兄弟に変わったというモティーフである。

 第三類は露から卵に変わる類である。上の妙音と下の瑞音により風が生まれ、それから白風→白い雲→白い露→白い卵になり、最後に神様になったというモティーフである。

 第四類は天地により卵が生まれる類である。人類の卵は天から生まれ、地で孵化したというモティーフである。

 第五類は五行からの卵生類である。気体の変化から白色の露珠が生まれ、それから五行に変化し、五行から卵→天地→人、というモティーフである。「卵から何が生まれるか」の角度から見ると、次のようなものを挙げることができる。(a)人類、(b)神様、(c)鬼、(d)動物、(e)植物、(f)精威五類(木、火、水、土、鉄)、(g)自然、天体など(石、星、日、月、山、川など)。

 以上の起源類をさらに分類すると、(1)人類、神鬼、動植物などの起源(始祖、君主、英雄なども含まれる)(2)宇宙、国、土の超源(3)文化の起源がある。納西族の神話伝説のような豊富な「卵生神話」は中国でも世界でもとても珍しいと言える。トンパ文字で「子孫」を示すときには「卵」を描く([例16]を参照)ことも、この卵生神話を反映していると言えよう。
【例 16】
「卵」

 ここで卵生神話について漢籍及び周辺諸国のものを調べてみよう。

 まず漢籍には次のものがある。徐整氏(三世紀)の『三五暦記』『五運歴年記』には、原初、天地が分離されていないころは混沌状態で、まるで巨大な卵のようだった。その中から盤古という神が誕生した。天地を分離させるために、柱(巨人)になったという記載がある。研究者の間で疑問になったのはどうして「盤古卵生神話」が三世紀よりも前の『書経』『史記』など古典書物には登場しなかったのか、登場が遅かったにもかかわらず、一躍「じょか」を乗り越えて「天地開びゃくの神」として脚光を浴びたかのことである。

 朝鮮では『三国遣事』『三国史記』に卵生神話伝説の記載がある。卵のような形の気が女性の体内に入って、朱蒙という高句麗始祖を産んだという朱蒙伝説は中国の吉林省集安県にある「好太王碑」にも記載されている。ただし、朝鮮の卵生神話は「始祖類」に属し、「宇宙起源類」ではない。

 これに対して日本と漢民族の神話には「宇宙起源類」がある。納西の神話には両方が数多くある(宇宙起源類は前に挙げたが、始祖神話類には『昂姑米』神話がある)。  次にインドとチベットの神話を調べてみると、「宇宙起源類」(宇宙卵)と生類卵(人問のみならず、あらゆる生き物)の神話伝説とがともに見られる。

 以上から宇宙卵の神話の源は朝鮮よりもインド、チベットの方向の可能性が最も高いと思われる『日本書紀』の「鶏子のごとく」は『淮南子』(えなんじ)の『三五暦記』(さんごれきき)からの借用であるとされているが、この『淮南子』の『三五暦記』の「宇宙卵」は西南少数民族及びチベット(インドの可能性も)から取ったものと考えられないだろうか。

  さてこの「宇宙卵」は何を表すかについて、諸説があるが、簡単にまとめると、(イ)川卵から宇宙創造、(ロ)混沌を卵に見立てる、(ハ)卵のような物の形成、(ニ)[卵自体「天」と「大地」を意味する、といったものである。

 私はそれぞれに一理があると思う。諸説を総合してみると、混沌の中、天体の運動によって卵のような物が形成される。全体は宇宙のような形(宇宙の影)であり、蓋天である、ということになる。私はこのミックスした説を取る。

  「渾天説」(天地は卵のような形で、混沌の状態)、「蓋天説」(天空が椀をふせたように大地を覆っている)及び「天円地方説」(円なる天と方なる地)、「宇宙軸説」、いずれもトンパ経典とトンパ文字に見られる。

トンパ経典では、「天是半円形的、中間高、四周低」という記載がある。『迎浄水』というトンパ経典では「円天は上、方地は下、真ん中は「頂天柱」という記述があり、その他、『献冥馬』などにも「天蓋地方」の記述がある。また、絵画文字の「天」([例17]を参照)をみると、上の尖った部分が「蓋天説」の「天中之極」の意になると思われる。
【例 17】
「天」

 トンパ経典では、天地が分離したばかりのころ、ゆらゆらしたので、柱をたてたという。この柱は「頂天立地」「人と神の交流の通路」の宇宙軸である。

 更に天祭りのとき、祭壇の周辺に白楊樹を挿し、その木の頭の先に「十字」形に切り、その上に「卵」を入れる風習がいままでも残っている。「神話」がまだ生活の中に生き残っているのである。


 「卍」の分布 
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