中国雲南岩面画の特徴
調査報告5

岩面画の由来にかかわる伝説

 雲南のワ族には、岩面画の由来についてこんな伝説が残っている。

 太古に、上帝が天地開闢後、岩洞で人間を見つけた。当時の人間は体格が大きく、食べる量も驚くほどだ。一食で一籠の食糧を平らげる。一口で、ご飯を入れる竹で作った筒まで飲み込んでしまう。最後には、木の葉や草まで全部食べてしまった。

 上帝は「やがて洪水が起きる。各自で早く木造の船を作りなさい。そうしたら災難から免れる」 と命じる。しかし、人間は洪水を恐れない。

 「もし平地が水で溢れたら、山に登ればいい。洪水が大きな山も襲ってきたら、山の木の上に登ればいい。しかし、たとえ、われわれが洪水を避けられたとしても、やがて餓死してしまうだろう。そうであるなら、次の世代にどのように生活していくかの教訓を残さなければならない」

 人間はこのように言うと牛を殺し、牛の血と赤色の鉱石粉を混ぜて、岩の上に絵を残したという(注1)

 雲南省の隣の広西壮族白治区の壮族には次のような伝説が残っている。 昔、珠山に力持ちの青年が住んでいた。彼は一食にご飯なら120斤(1斤は約500グラム)、お粥なら60斤も食べた。彼は皇帝に対する不満をもち、反乱を起こそうと思ったが、兵士も馬もない。そこで彼は夜、働きに出掛け、昼間は家に閉じこもって、馬や兵士の絵を描き続けた。

 彼の母はなぜ息子が昼間、働きに出掛けないのかと心配した。そしてある夜、息子の留守の間に、息子が絵をしまっていた秘密の箱をこっそりと開けてみた。すると、息子の描いた馬や兵士は絵から抜け出し、生き物となって天に飛び立った。しかし、作画してからまだ100日未満だったので、兵士も馬も皇帝のところへ戦いに行くほどの力はまだ備えることができなかった。そのために珠山まで飛んだところで力尽き、今日の珠山の岩面画となったという(注2)

 そのほかに洪水との戦いを記録するため、岩面画を描いた伝説もある。

注1李学宏「有関滄源岩面画的伝説」(『実用美術』31号)

注2馬寅『中国少数民族常識』(中国青年出版社 1984年)